「こいつの名前は霄 瑤璇(しょう ようさん)。 霄と言うんだ。」
そう始めて茶 鴛洵(さ えんじゅん)から紹介されたはなから、霄という男を英姫(えいき)は、いけすかない奴だ、と思った。
長い髪もしっかりと結わないこの男に宰相の席を与えるなんて、この彩雲国は終わっている。
元より思うことを率直に口に出すことを厭わない美姫は、即刻夫の鴛洵に可憐な唇でこう言った。
「なんじゃ、あの男は。一目見ただけで性が悪いと分かったぞ。
まるでずる賢い狐のような顔をしておる。
鴛洵、ほんにそなた、あの男に背中を預けて良いのか。」
相変わらず辛辣な英姫の言葉に、鴛洵は端正なその顔を苦笑いで満たした。
「英姫・・・アイツはあぁ見えて、この国の宰相なんだが。」
「知るものか。私はあの男に仕えるつもりはさらさらにないのでの。
・・・あの男が宰相か。この国は大丈夫なのか。」
「英姫・・・。」
妻をたしなめるつもりで開いた口は、呆れたように再び閉ざされた。
この国の英知として国王直々に菊を賜ったこの男も、
この千年の眠りも目覚めさせるような美しい娘を前にするととたんにたじたじになるのは不思議なことである。
「・・・まぁ、確かにね。」
鴛洵は小さな吐息をつくと、彼生来の穏やかな笑顔で英姫を見た。
「霄はそれはもう根性が悪く、男としての身だしなみももっていないし、
何度となく彼には嫌な思いをさせられたけれどね。」
それ見たことか、と、英姫は片目をつぶる。
しかし鴛洵の笑みは揺るがなかった。
「霄の、王へ捧げる忠誠は誰よりも清く誠実だ。
・・・そしてアイツと同じく肩を並べる私にとって、・・・霄は大切な、大切な友人なのだよ。」
そう鴛洵に言われてしまうと、英姫は口をつぐむしかなかった。
鴛洵の心の、多くの部分を占めているあの男。
いや、占めすぎているからこそ、英姫は霄が嫌いだった。
(私は奴を嫌い抜いてやる。)
英姫は思った。
(鴛洵・・・そなたはいつか、私を置いて逝く。)
英姫がわざわざ異能を使って先見をするまでもなかった。
女の勘というものか。・・・なんとなく、気がついていた。
鴛洵は、霄の手によって、死ぬ。
鴛洵のことを誰よりも、愛した・・・英姫を一人残して・・・。
鴛洵は気づいていないのだろうか。
自分の命をいつか必ず奪いにくる、友の瞳の中の冷徹な影。
・・・いや。気づいていないはずがない。
彼もきっと、心のどこかで分かっているはずだ。
・・・けれども鴛洵は最期まで、それでも満足だと言って死ぬのだろう。
誰よりも気高く清い鴛洵は、
無二の友の手の中でさえ、これで良かったのだと笑うのだろう。
冗談ではない。
どこが良いものか。
この世で一番鴛洵を愛した、私に黙って死ぬなんて・・・。
「英姫殿。」
声がかかったので英姫が振り返ると、そこに霄が立っていた。
その時ちょうど鴛洵は居なかった。
運がない。あからさまに英姫は不快そうに顔をしかめた。
霄は笑った。
表面上では柔らかな笑みだったが、その悪どい目の輝きは隠せていない。
英姫は冷たい目で言った。
「何事でしょう、霄殿。」
「いえ、ただ・・・。
・・・あなたは私をそうやって厳しい目で見ますね。私があなたに何かしましたか?」
「いいえ。」
これからするのだ。
英姫は言外でそう言った。
霄の瞳がきらりと光る。
霄は謎めいた笑みを口の端に見せた。
「・・・それでは、私が人間ではないから、
そうやって警戒しているのかな。・・・名門標家の、姫君よ。」
「何を戯けたことを。
そなたが人間かそうでないかの問題ではない。そんなことは、どうでもよい。」
英姫は口を曲げて言い切った。
霄は意表を突かれたようにキョトンと目を丸くする。
英姫は鼻で笑った。
「そなたが何者であるかなど、関係ない。興味もない。
ただ私は、そなたが嫌いじゃ。
死ぬまで、・・・いや、死んだ後も、嫌い続ける。それだけよ。」
そう吐き捨てると英姫は背を向けて去っていった。
ポツネンと一人残された霄に、一筋の風が吹く。
結い忘れた後ろ髪がさらさらとなびく。
それを片手で押さえながら、霄は小さく微笑んだ。
「・・・そうだね。君は賢いよ、英姫姫。」
私はいつか、君の、大切な者を奪っていく。
それが私の遥か昔からの約束。
「どうか最期の最期まで
・・・君だけは・・・私を許さないでくれ。」
そうして時代は下がり、その予言は現実になる。
鴛洵は霄の腕の中で、息を引き取った。
これでいいのだと、微笑みながら。
天を仰いだ霄は、空の蒼さを見た。
『ただ私は、そなたが嫌いじゃ。
死ぬまで、・・・いや、死んだ後も、嫌い続ける。それだけよ。』
お前を許さないと、英姫は言った。
その逃げ道もなくぴしゃりと言い当てた言葉に、
霄は心のどこかで、救われた気がした。
END