僕達二人は物心がつくかつかないかの時には、すでに両親とは別にあった。
それが棄てられたからなのか、それとも二人に止む終えない事情があったからなのかは分からない。
ただ気がつけば、茄月と二人で路地裏に身を寄せ合って眠る日が続いていた。
両親のことは、本当に、うすボンヤリとしか覚えていない。
二つの大きな影が、こちらに手を差し伸べてくる記憶。
そして僕がその手をとったかどうかまでは、覚えていない。




それから何年もたって、僕らの前に僕達の祖母だと名乗る人が現れた。
それが事実なのかどうかは知らない。
案外、一人でいることが寂しくなった老婦人が、
手短かに転がっていたボロ雑巾のような子供を好奇心で拾ってみた、程度のものだったのかもしれない。
その理由はともかく、
彼女は本当に良い人だった。
僕も茄月も、望まれたように「おばあさん」と呼んで親しんだ。
けれどそれも長くは続かなかった。
一年にも満たない内に、彼女は殺されてしまった。
当時、そこの辺り一帯は酷い貧困の中にあって、居場所のない人々のたまり場だったのだ。



とにかく祖母の頭を抱えて、茄月は泣いて泣いて、泣いた。
僕は泣かなかった。
・・・・・泣けなかった。
ただ二人、枯れ木のように年老いた老婆の傍らに座り込んだまま、
外では二回太陽が昇って、二回夜が世界を通り過ぎた。
そして三度目の朝日が部屋を差す中で、
茄月がポツリと零したものが「お腹がすいた」その言葉だった。
僕はぼんやりと頷き、ふらふらと立ち上がった。
力が出なかった。
だけど茄月が空腹なのなら、何かを探しに行かなければならない。


そして今にして思う。
あと一日動くのが遅ければ、・・・茄月がああ言わなければ、多分僕も茄月も、ともども死んでいた。
二人とも、衰弱しきっていた。
僕が立ったからか、茄月もそうっと着いてきた。
「おばあさん」とも、ここでお別れだ。
生きたければ、前に進まなければならない。


それから僕は、茄月がお腹がすいたと言うから必死に食べ物を集め、
茄月が夜は寒いというから上にかけるものを探した。
茄月が喉が渇いたというから水を集め、茄月が安全なように少しでも安全な場所を探した。
兄さんがいなければ私は死んでいたと、茄月は言う。
だけどそれは僕だって同じことだった。
茄月がお腹がすいたというから自分も空腹だと知り、夜に吹く風の冷たさを思い出した。
この喉の渇きに気がつき、そして結果として、茄月と同様に自分の身も守っていた。
茄月が笑うから楽しいことがこの世にあるのだと忘れずにいられ、茄月が綺麗だというから、落ちてきそうな星空の恐ろしさも和らいだ。
祖母が死んだときも、大きな傷を負ったときも、僕が泣かないかわりに、茄月が泣いた。
感情を感じることが苦手な僕を補うように、
代わりに茄月が、多いに泣いて、多いに怒り、そして、多いに笑った。
茄月がいるから、僕の心は死なずにすんだ。
けれど茄月がコロコロ表情を露にするたび、どんどん僕は感情を表さなくなっていった。
まるで必要ないものと削ぎ落とすように。
そしてそれを補おうと、また茄月が泣くのだ。
それでも、なんとか二人でやっていけた。
やっていけると、思っていた。



そして僕の身体はある日、何の食べ物も受け付けなくなった。


何も食べられない。
食べようとしたら、吐いてしまう。
吐いても食べようという気持ちは起こらなかった。
気持ちが悪くなるぐらいなら、目をつぶって寝むってしまいたかった。
何も食べようとしなくなった僕の傍らで、茄月が食べた。
どんどんどんどん茄月は食べて、泣きながら食べて、吐いても食べた。
吐くぐらいなら食べるなよ。
僕は力なくそう言って、茄月を落ち着かせようとした。
たくさん食べるといっても、始から食料が少ない分、あまりに大量には食べ物は入手できなかったが、
それでも、茄月は普通三口で食べるところを、大きく一口で食べた。
少しずつ飲めばいい水を、一気に飲み干した。
そしてその勢いに押されて、僕は半口のパンを飲み、舌を水につけるのだ。
茄月がどうしてあんなことをしたのか。
茄月は僕を、生かそうとしていたのだ。
言葉で死ぬなというかわりに、茄月の落ちてきそうな二つの瞳が、僕を見つめる。

結局、僕が再び食べ始めたのも、茄月が居たためだった。
倒れて起き上がれなくなった僕の枕元で、茄月が泣きながら「置いていかないで。」と言った。
そうして僕は涙がボロボロとこぼれてくる妹の顔をじっくりと見つめながら、
あぁ、この妹を一人にしてはおけない、と思った。
だから僕は食べ始めた。
いくら吐いても、少しずつ少しずつ。
茄月を独りにしたくなかった。
二人で共に、生きようと思った。







茄月の今、ものすごく大きくなった胃袋は、多分、・・・いやきっと、僕に責任があるのだと思う。
今になってもそれだけは、僕は本当に申し訳ないと思っている。








それから僕達は、たくさんの仲間を得、それら全てを失った。
その後姫たちと出会い、その延長線の上を今生きている。
その過程の中で、僕は苦手ながらも少しずつ、
遅れをゆっくりと取り戻すように、感情を表す術を学んでいっている。
必要ないと、思っていたものを。
わずらわしいと感じることはあったけれど、難しいとは思わなかった。
なぜなら始から茄月がずっと、傍らでその方法を教えてくれていたのだから。
僕は生きつづける中で、ふと思うことがある。
顔も名も知らない、両親のことを。
彼らのことは何も知らないし、彼らに名前を呼ばれたこともないけれど、
今、僕はしっかりと二人の愛情を感じている。
なぜなら彼らはこの僕に、茄月という妹を、ちゃんと残してくれたではないか。











END