お雛さま騒動!! 05








コンコン・・・・・・






ノックの音で茄月は目を覚ました。
頭の中がふわふわしている。
手には、あの手帳を持っていた。
どうやら自分は、あのままふてくされて眠っていたらしい。



「茄月、開けてくれ。」



兄さんの声だ。茄月はそう思った。



「茄月?」
「・・・・・。ただ今、茄月は部屋にいないもん。」
「いや、思いっきり居るだろ。」



だって会いたくないんだもん。
って、嘘ですけど。




茄月はベッドの上で丸まった。
素直に出て行ける気分ではない。
いつの間にか太陽は陰り、部屋に射す影は濃くなっていた。
なんとはなく、寂しい気分。たそがれ時だ。
いつものように勝手に入ってくればいいのに。と茄月がブチブチ呟いていると、



「茄月~、開けてください。」



そんな、兄の声の後ろから聞きなれた声が・・・・・



「えっ。姫っ?!」



弾かれたように茄月は身を起こした。
間違いない。今の声は、姫だ。



「茄月、出てきてください~。」



えっ、もう夕食だっけ? そう思って時計を見たけれど、そうではないらしい。
兎にも角にも、姫が相手なら素直に従うしかない。
茄月はドアにすっ飛んでいった。



「・・・・・姫?」



カチャ・・・・・・ドアを開ける。

どうしてわざわざ姫が私のドアに?

新たに開けた世界には、金糸のような美しいウェーブがかった髪に、
その髪と同じ色の優しげな瞳を持つ少女が立っていた。



「姫・・・・・・。」
「なんだい、思ったより顔色いいじゃないか。」
「あれ、神無も?」



姫に神無に兄の葉月。どういった組み合わせだ。
そう考えているうちに、何かが視界を奪った。


「うわっ。何、神無っ!!」
「はいはい、お嬢様は少し黙っててねぇ。」


何言ってんのっ!離してっ!!と暴れる茄月の手に、誰かが触れた。


「少しの辛抱です。」


姫だった。
姫の可憐な高い声は心無しか楽しそうに弾んでいる。


「少しの辛抱ですよ、茄月。」








それから私はうまく三人に言いくるめられて目隠ししたまま歩いている。
やったことが無い人は分からないと思うけど、目が見えないまま歩くのは結構怖い。
何度も神無や葉月にしがみつきながら、なんとか進んでいる。





まさか豪華な料理を見せて私の機嫌を直そうとか?
・・・・・・ありえる。
そしてそんなことで、事実私の機嫌が直りそうなことも、
・・・・・・・・・・・・十分ありえる。




しかし茄月を待ち受けていたのは、肌を刺す冷たい風だった。
ピンと張り詰めたような空気と、降り立った地面の感触で、自分が外に出たことが分かった。
いいかい? と、神無が聞く。そのすぐ傍に姫と兄さんの気配もあった。
スルリと、目隠しがとかれる。
すぐに躊躇なく目を開いたが、何かに反射する光が眩しい。
目の前に何が広がっているかを把握するまで、しばらく時間がかかった。


「・・・・・・・って、え?・・・・・え、ええェェっ?!嘘、何コレッ!!」


「・・・・・ふふっ。驚きましたか?」


嬉しそうに声を弾ませ、姫が隣にきた。
姫を振り返りつつも、茄月はうまく言葉にできなかった。



・・・・いや。いやいやいや、いや、コレ、驚くも何も嘘でしょ? 
あぁ、夢なんだコレ。なんだ夢か。私はまだ眠ってるのね。夢なのか。夢ね夢夢。
サイナラ。


「何言ってるんだ。」



葉月が呆れがちに笑っていた。
そして茄月を小突く。かすかな痛みがこれは現実だと告げた。



「すごいだろう。」


神無が得意満面にして言ったけど、
これはもう、
すごいとか何とか言うレベルじゃなくて!


「・・・・・・めちゃくちゃすごいよっ!!」
「「すごいって言ってるじゃん。」」





・・・・・・やばい。
本当に本気ですごい。こんなの初めて見た。
私たちの目の前に立っている物、それは大きな純白のお雛様。
太陽の清い光に照らされながら、スンと鼻筋の通ったお雛様とお内裏様が一番上の段に立ち、遥か高いところから私達を見下ろしていた。
これは何?
丸みを帯びた、蝋人形。
宝石みたいに真っ白い肌に、細かい飾り。
お雛様とお内裏様のほかにも、三人官女や五人ばやし、さらに下にズラズラと着物を召し込んだ雪の結晶たちが並んでいる。
館の中のあのお雛様を持ってきて、雪を塗りつけたんじゃない?
なんて思ってみたけど、これは正真正銘、全部雪でできている。


「・・・・・・・。」


言葉も出ない。
すごい。すごいよ。
これはもはや芸術。まさか雪でできたお雛様を、拝める日が来るなんて。



「はい、茄月。」



ふいと、目の端からロウソクが飛び出した。
びっくりして隣を見ると、庚がそこに立っていた。



「かか、庚・・・・・っ!」
「茄月、ぼんぼりに、火を点けて。」
「・・・・え? 火・・・・・?」



雪の雛人形という感動で、思考がストップしたの茄月なんてそっちのけで庚がロウソクを握らせた。すばやく火もつける。



「・・・・・ぼ、ぼんぼりって・・・・・・。」



見れば確かに。ぼんぼりまである。
それも巧くデザインされて、器用に手がいり込んでいる。
庚の促す通りぼんぼりに茄月は火を近づけて、
そして気がついた。


「か、庚っ。」
「え? 何?」


ロウソクの火が消えたの?と尋ねてくる庚に頭を振る。



「ロウソクの火なんて置いたら、雪、溶けるんじゃないの?」
「溶けるよ、もちろん。」



さも当たり前だとばかりに庚は言ってのけた。呆然とする。



「溶けるに決まってるじゃないか。」
「えっ、え。そ、そしたら、火なんて点けちゃダメじゃない。」
「どうして?」



どうしても何も、なんでもだ。
なんでも。どうしてこんな美しいものを、溶かしてしまえと言えるのか。
庚は笑っていた。



「全部いつか溶けるよ。」



そう言って、茄月の目を覗き込んでくる。



「それでいいんだ。だってコレは、この一瞬のために。
この一瞬を、茄月にあげるために作ったものなんだから。」



庚の真っ直ぐで無垢な眼差しを受けながら。
どうしてこの人は、こんなに恥ずかしくなってしまうようなセリフをさらりと言ってしまえるのだろう、と思った。
多分これぐらいなら、玖音や弥星も平気で口にする。
けれど、それとは違うのだ。
誰もこの庚ほど、本心から言うことはできない。
顔が熱くなりそう。いや、絶対に赤くなってるに決まってる。
庚はきっと気づかない。それでいい。
茄月はロウソクを、ぼんぼりの中に入れた。



「いやぁ、間に合いましたね。」



その声に、はっと振り返る。と同時に、何かを上から着せられた。



「冷えるでしょう。茄月。」



弥星だった。弥星が笑いながら、いつの間にか後ろにいた。



「ホレ、花だ茄月。」
「っ!冷たッ!」
「落とすなよー。俺と弥星の最高傑作だぜ。」



玖音がいつもの乱雑とした口調でポン、と茄月の手に何か置いた。
その冷たさにびっくりして取り落としそうになったが、玖音の言葉になんとか耐える。
見ると、茄月は小さく声を上げた。



「すごい・・・・っ!」
「桃の花ですよ。ひな祭りは、桃の節句でしょ? 急いで作ったんですよ~。」



美しい桃の花の、雪でできた結晶。それがキラキラと手の中で、息を潜めた宝石のように輝いている。



「え、え・・・・・弥星、と、玖音が作ったの? コレ?」
「そうだっつってんだろ。」


玖音が笑ってる。


「あぁ、この雛壇は違うぜ? 皆で作った。
その桃は俺達二人でだがな。あ、ぼんぼりは庚が作ったぜ。」
「その桃の花を飾ってください。それで完成です。」



二人の声に押されながら。雛壇に桃の結晶を置こうとした手が、思わず震えてしまった。



「・・・・・うわ。」


嗚咽が、喉からこみ上げてくる。
うまく表現できない気持ちが溢れてきて。
どうにもならなくなって、茄月は下を向いた。








「うわぁ、すごいですね、あの桃の花。」
「なぁに、アンタのぼんぼりだって、力作じゃない。」



弥星と玖音の登場で静かに庚は身を引き、その庚の元に神無が歩いてきた。
二人は皆が作り上げた雛壇を見上げる。自分達で言うのも何だが、すばらしい出来栄えだ。
庚は絶えかねたように小さく笑った。



「・・・あの二人も・・・・・・ここまでするなら、最初から謝っておけば良いのに。」
「本当にねぇ。」



神無も噴き出す。
この提案を上げたのは、庭にうず高く積みあがる雪に気がついた庚だが、
一番の勤労賞を受け取るのは間違いなくあの二人だ。
まさに修羅のように。溶けていく雪を固めることに執念を燃やしていた。



「あいつらは・・・・・・あいつらなりに茄月のことを可愛がってるからねぇ。」
「・・・・えぇっ?! 本当に?」



なんだい庚、分からなかったかい?と、神無が意外そうに片方、形の良い眉を上げた。
庚は真面目な顔をして頭を振った。



「分かりませんね。茄月に余計なちょっかいを出してるな、とは思ってたけど。」
「それが可愛がってるってことなんだよ、アイツらなりの、愛情表現。」


そんな迷惑な愛情表現って無い。



思わず庚は茄月に同情してしまった。
そしてまさか自分も、その迷惑な愛情表現の餌食になっていることは気づかない。
神無は目を細めると、どこか遠くを見つめるように少し黙った。



「・・・・・玖音はねぇ・・・・・。」
「え? 玖音?」
「そう、玖音よ。・・・・・・玖音にはね、妹が居たのよ。」
「・・・・そうなんですか?」


初耳だ。
庚は優美な横顔の神無を、口を閉ざして見つめた。


「衣織っていう名前でね。
私も会ったことはないんだけど・・・・・・玖音のヤツ、可愛がっていたそうだから。
それがね、茄月とその子が同じ年なんだってさ。
・・・・だから、放っておけないんだろうねぇ・・・・・。」



その“衣織ちゃん”は、今どこに?



そう問いかけようとして、庚はやめた。
今、その衣織という少女は、ここにいない。
ここで、この館のこの庭で・・・・・玖音の隣で、微笑んではいない。
それが全てを語っている気がする。
彼女は、いないのだ。



「それにねぇ。」


神無が笑った。


「弥星もなんだかんだ言って、茄月に甘いから・・・・・・。」




・・・・・そこは銀世界。
普段より時がまったりと過ぎるようなこの世界で、皆がこうして笑っている。
笑い声が響く中で、共に同じときを過ごしている。
胸が、いっぱいになった。
庚は目を細めた。
眩しそうに。
何か大切なものを見守るように。




「あっれー。茄月のヤツ、もしかしてまた泣いてやがるのか?」
「そうですねそうですね。そうでしょうとも、感激ものですもんね。
この芸術作品っ!分かります、分かりますよ茄月。」
「そうかそうか。泣くほど感激か。それなら何も言わんぞ。存分に泣け。」
「な・・・・泣いてないっ!」
「うおっ。止めろ。振り回すな、その桃の花!崩れるっ!俺達の力作!!」



弥星と玖音の悲鳴が上がる。
ちょうどそこで、姫と葉月が近寄ってきた。



「それでは茄月、そろそろ館の中へ入りましょう。」
「えっ。」
「寒いだろう。部屋で布団もかけずに寝ていたようだし。風邪を引く。」
「・・・・・でも・・・・・。」



そんな。
これはいつか、すぐにでも、溶けてしまう。雲ひとつない空なのだ。
しかし葉月の言う通り、弥星が上着を着せてくれたが、体は震えるほど寒かった。
茄月は手をこすり合わせ、そこに息を吐いた。白い雲ができる。
けれどここを離れたくない。
ぼんぼりに火は灯した。この雪の結晶たちの命も、終わりへとスタートを切ってしまっている。



「入りましょう、茄月。」



姫の声に、ぐいっと、玖音が茄月の腕を引いた。



「玖音っ。」
「何ボサッとしてやがる。体を温めて、また見に来ればいいだろ。」



少し離れたところで、庚と神無の二人がいた。
庚と目が合うと、庚は頷いて、笑っていた。